君に聴こえるように道標を謳う

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(私たちは)歌うことしかできない White「さくらガール」

whiteの感想っぽいタイトルですけど基本自分語りです。

現在の私の一番の推しであるNEWSが去年行ったツアー、whiteのDVDがようやく来週発売となりました。

小山さんが仙台で何度も上を見ていて、あとから「お空と繋がれた」とブログに書いてましたね。

彼はセキスイハイムの天井ではなく天を仰いで、もう今はいないファンのみんなにも歌ってました。

オーラスの東京ドーム、さくらガールを歌った手越さんも歌い終わりに上を見上げてました。

後日、雑誌のインタビューでその年に亡くなった父親に向けて歌い、それが届いたか聞いた、という趣旨のことを仰っていました。

 

テレビにもたくさん映る彼らが亡くなった人に何か伝えたいと思うとき、何故歌を選ぶんだろう、という疑問はなんとなくあったのです。

踊ったり芝居したり、たくさんの人が目にするテレビにいっぱい出たり、歌以外の方法いっぱいあるんじゃないのかなって。

 

ここから自分語りです。 

 

この冬、私の同級生が亡くなりました。

特別に仲がいいというわけでもないのだけれど、音大付属高校の音楽科、生徒もそれほどおらず普通科の生徒と交流があるわけでもなく、限定された狭い世界で私たちは一緒に音楽を学んでいました。

あの多感な時期を一緒に過ごした友人のために今何をしてあげられるだろうか。

お通夜の席で、私たち同級生一同で歌を歌いました。

今は音楽から離れた同級生も、プロの演奏家も混じった同級生も一緒になって、それはそれはエモい演奏をしました。

 

次の日もその次の日も、私はずっと歌っていました。

私が今勉強している歌を、私の好きな歌を。

声が枯れるまで歌っていないと落ち着かなかった。

彼女の死を受け入れるために、もう今は演奏できない彼女のために、一緒に過ごしたあの日のために。

なによりも、歌っていれば彼女と繋がっていられる気がして。

 

私は学生時代は歌が好きでなかったし、今も別に歌が上手いわけでもないけれど、それでも歌しかないと思った。

歌なら、きっと彼女に届く。

彼女のために、私には歌うことしかできない。

 

 

小山さんも手越さんもそう感じていたのだろうか。

DVD発売を前に、そんなことを思いました。

さくらガール、早く観たいな。